カテゴリー「東日本大震災」の記事

2013/01/08

新年を迎えて

新年のご挨拶が遅くなりました。
ご訪問くださったり、メールをくださったりする皆様、
いつもありがとうございます。
超マイペース日記ですが、今年もよろしくお願いいたします。

昨年後半はいろいろと書きたいこともあったのですが
何かと慌ただしく、そのまま過ぎてしまいました。
大変なこともあったけれど、
京都や福岡に足をのばしたり、宮島で登山したり、
楽しい思い出もできた半年でした。
せっかくなので、こちらに住んでいるうちに
西日本のいろんなところをもう少し回ってみたいです。

その中でもずっと考えていたのが大学院の受験でした。
広島大学では、過去の経験と東日本大震災をうけて
「放射線災害復興学」というプログラムが立ち上がっています。
除染実習やリスクコミュニケーションの演習、
福島やチェルノブイリでのフィールドワークなどもあり
内容的には私がまさに今学びたいものでした。
授業やレポートは全て英語、米国での短期語学研修もあります。

仕事の合間に関連する書籍を読みつつ、受験について調べ、
説明会にも参加して、後日教授の研究室へお邪魔したり…
いろいろとお話を聞いた上で、思っていたのと違う部分もあり
私には今は無理だなという結論にいたりました。

けれど、とても有意義で魅力的なプログラムです。
意外に知られていないようなのですが、
お若い方などは特に、興味があれば覗いてみてください。

広島大学「放射線災害復興を推進するフェニックスリーダー育成プログラム」

このことを考えている過程で
あらためて、今の自分の軸は仕事なのだなと気づきました。
5年間、仕事を完全に離れる…というのはちょっと想像ができず。
両立できるほど甘いカリキュラムではないようです。

(広島大学へ向かうバスの中から。
東広島はすっかり雪景色で別世界でした)

Higashihiroshima


仕事のほうは、最近は英訳がメインになってきており
指名していただけるようにもなりました。
少しずつ広がり、さらに面白くなっているところなので
またカメの歩みでも前進していきたいと思います。
いつか、放射線関連などの仕事でも
役に立てるようになれたらな、という淡い思いもあり
今はやはり実務系の翻訳に興味が向いていますね。
映像翻訳も、条件が合えばお引き受けしていますが。


学びたいこと、自分にできること、
できるようになりたいこと、仕事の方向性…
いろいろ考え始めるとキリがないのですが、
やりたいことをやりつつ学びつつ、考えていけたらと思います。

今年の抱負は特に立てておらず。
あえて言うなら、
仕事以外の部分をもう少し充実させられたらいいなと。
以前から考えていた陶芸や、絵、ピアノなど
やりたいことはいくらでもあるのですが
ありすぎて困っています(^-^;)
もちろん、読書も忘れず。

仕事とはまったく関係のない時間も
大切だなと思う今日この頃です。
それが知らぬ間に仕事の幅を広げることもあるのではないかと。

昔沖縄によく行っていた頃は、音楽が生まれる土地だ♪ と感じ、
青森で雪の中、津軽海峡を眺めた時は
文学が生まれる土地だわ…と感じました。
狭い日本でも、土地に流れる空気は全然違うものですね。

広島は、なんだか絵を描きたくなる街です。

年末に、一年のことをいろいろと思い出しながらも
言葉にならずスケッチした一枚。
いつか、しっかり描けたらいいな。

Genbakudome

年末にもひとつ、ブログを通して嬉しいご縁ができましたが
今年もいろんな方とお会いできたらと思います。

ではでは、良い一年になりますように(^ ^)

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2012/03/12

震災から一年

一日過ぎてしまいましたが。
昨日は静かに過ごしました。
様々な情報に心乱されることのないよう
できるだけネットやテレビには触れないように。

いろんな言葉を書いては消し、ですが…
一年前と比べて前進できたと思う部分はたくさんあります。
復興に関してはまだ問題も山積みですが、命の重みを感じつつ、
これからも少しずつ良い方向へ進んでいければと
ただそれだけを願います。

つい東北、福島、と言ってしまうものの、
茨城も千葉も沿岸部は津波の被害が大変でしたし
液状化の問題もだいぶ尾を引いていました。
関東一帯の人々もみんな大変な思いをしました。
そして、去年は他の地域でも
大きな地震が起きた年でもありました。

そんなこんなを考え合わせるとなかなか言葉が出ません。
皆自分たちのことで大変であろう中、
力になってくれた方が大勢いました。
私も親身なメッセージをたくさんいただきました。
友人知人からも、Twitterなどを通して見知らぬ方々からも。

言葉では言い尽くせないほど感謝しているのですが
そういう方たちはつらい気持ちを吐き出せずにいたかもしれないと
複雑な気持ちもあります。
当時の私はそんなことに思い至らなかった。

昨日は、それぞれがいろんな思いを抱えていたと思うし
それは決して共有できないものかもしれません。
そして、どちらが大変だったかなどと
比べられるものでもないのですよね。

多くの人が少しでも気持ちを整理できていればと
願ってやみません。


そんな自分も14:46、亡くなった方々に手を合わせながら、
気持ちの整理どころか涙があふれて止まらなくなりました。
様々なことが、昨日のことのように思い出されました。

そして、走りに出ました。
先日書いたNikeのイベント「Run Together」です。

走っていると、気持ちが少しずつ昇華されるような感覚がありました。
一歩ずつ、脚を前に出せばいい。行けるところまで行こうと。
同じ日に、離れた場所でも走ってくれている友達がいました。
それもとても励みになって。

結局、走ったのは自己最長の13km。
これは思った以上に良いイベントなんじゃないかなと感じました。
不思議な一体感があって、気持ちも前向きになる。
私が単純なだけかもしれませんが。


「悲観は感情、楽観は覚悟」

友人が教えてくれた、アランの「幸福論」からの言葉です。
今の私にはとても刺さる言葉でした。

悲観的になってばかりだった震災直後の自分。
あの頃とは確かに変わったと思います。
これからも、できるだけ光の見える方向に向かっていきたい。
自分にできることを少しずつやっていきたい。
そんな思いでむかえた一年目でした。

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2012/03/09

3月11日に走りませんか-Run Together

Nikeが、3月11日にこんなイベントを企画しています。
全国どこからでも、好きな時間に参加できます。
エントリーも11日まで受け付けているようです。

Run Together

********************************************
ミッションは、3月11日(日)に参加したNike+ランナーの合計走行距離が日本の外周に当たる32,000kmを突破することです。参加者のランニング1kmにつき500円及び当サイト上でのソーシャルメディアの応援1回につき1円を米国NPOのArchitecture for Humanityを通して、被災地復興のために寄付します。(RUN TOGETHER全体での寄付金額上限を20,000,000円とさせていただきます)
********************************************

Nike+のアプリと会員登録が必要なのがちょっと手間ですが
普段から使っている方などいらしたら、ぜひ。
私はアプリを購入してエントリーしました。
(Nike+ GPS のiPhoneアプリで170円)

自分にはせいぜい数キロのジョグが精一杯だと思いますが
歩きでも構わないし、1日に何度データ送信してもいいそうです。
条件は、3月11日中であることだけ。

ランナーの方も、そうでない方も、
ぜひ一緒に遠隔ラン&ウォークしませんか(^-^)

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去年は3月13日に栃木の大会に参加予定でしたが
当然のように中止となり。

原発事故が起こって、しばらくは鬱気味で籠もりきりの日々。
ある日久々にジョグに出てみたら、見上げた青空がとても綺麗で
汚染された故郷の空を思うと、悔しくて悲しくて
涙が止まらなくなったことがありました。
それ以上走れず引き返したのを覚えています。

あの時は、絶望にも近い気分だった。
アクアマリンもハワイアンズも
再開の日なんて来ないんじゃないかと思った。

でも、今は違う。
もちろん、まだまだ問題は山積みなのだけれど
現地の人々の頑張りを見たり、多くの人たちに支えられたりする中で
助かった命の重みを感じ、
前進と復興を信じることができるようになった。

だから、少しでも走りたいと思います。
あの日々と、これからの東北の未来に思いをこめて。



これ、32,000kmに到達しなかったらどうなるのかな…?

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2012/03/08

楽しい美味しい! - 復興支援酒場 in 新橋

今、期間限定で新橋に「復興支援酒場」がOPENしています。
東北(岩手、宮城、福島)の郷土料理と地酒がメインの
居心地の良いお店です。
なんと、9月末まで営業利益のすべてを
被災地三県に寄付してくださっています。

もともとが秋田にある会社ということで
同じ東北の企業として被災地を応援しようと企画されたとか。
9月末まで非営利で、とは
なかなかできないことではないでしょうか。

この酒場の存在を知って、行ってみたい!と思い
つぶやいたところ、ありがたくもすぐに乗ってくれた友人たちがいて。
少し遅くなりましたがさっそく行ってきました。

美味しいのはもちろん、何とも愉快で楽しいお店でしたよ~(^O^)
店員さんのサービス精神が最高です。
写真も何枚か撮ってきて、食べログにレビューを書きましたので
興味のある方は覗いてみてください。
復興支援酒場 銀座店 口コミ

お醤油ですら三県別に並べてあって、色も微妙に違う。
「次は何県にする~?」なんて会話も楽しかったです。

私が行ったのは土曜日で、店内はガラガラでした。
ゆっくりできて良かったのですが、
こんなに楽しいお店なのにもったいないなーと思います。
平日はどうなのでしょうかね。

お近くの方は、ぜひ一度足を運んでみてください。
楽しく美味しく、東北の応援ができるまたとない機会ですし
心からオススメできるお店です^^

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こんなお店があって、すごく良かったよ~♪という話をしていたら、
今度、通訳翻訳仲間の有志で復興支援飲み会をやることに。
声をかけたらあっという間に20人以上集まってしまい
ちょっと感動しています。

飲みたいだけの人がいてもいいんです。
それが結果的に支援につながるなんて、めっけもんですよね。
力まず、忘れず、細くても長く。
いろんな形で応援を続けていければいいなと。

3月11日が近づいてきて心がざわざわする日々ですが
東北の未来が多くの人々の思いに支えられていることを
しみじみと感じています。

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2011/12/11

震災から9ヶ月

あっという間の9ヶ月。
14:46には静かに手を合わせました。

毎月、11日が近づくとあの日のことを思い出します。

ファミレスのテーブルの下に潜って震えていた瞬間。
かけてもかけても繋がらない福島への電話。
水道管が破裂して水浸しになった道路。
原発は無事だとの第一報。
余震におびえ続けた長い夜。

小名浜の家族と連絡がとれなかった半日を思い出すと
今も息が苦しくなります。
テレビには、津波に襲われる小名浜が映っていて。
頭に浮かぶのは恐ろしい想像ばかり。
何も出来ず呆然としていました。

やっと連絡がとれたのは日が変わる頃。

その間に何度も何度も想像した、最悪の事態。


それが現実となってしまった大勢の人々、
そのご家族や周囲の方々の気持ちを思うと
とても言葉になりません。

犠牲者の方々のご冥福を心からお祈りいたします。
どうか、安らかに。


そして、いろんな問題は山積みでも
今こうして生きていられることへの感謝を
決して忘れずにいたい、忘れてはいけないと思います。

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2011/11/24

いわきの今 -少しずつ前進-

こちらも記録として。
下記の公募で、父の会社が選ばれました。

原子力機構、平成23年度「除染技術実証試験事業」公募結果を発表

300を超える応募の中から25の中に選ばれたそうで
嬉しそうに連絡がきました。

**************************************
(略)
今後の除染作業に活用し得る優れた技術を発掘し、除染効果、経済性、安全性等を確認する観点から実証試験を実施、その有効性を評価するため、平成23 年10 月3日~24日にかけて除染技術に関する公募を行い、その結果を発表した。
(略)
同事業により見出された技術を活用することにより、今後の除染作業をより一層効率的・効果的に推進することが期待できる。なお、除染技術実証事業の実施にあたっては、今後、各候補者と詳細な実施計画、内容等を確認のうえ、安全かつ効率的に進めていくという。
**************************************

身内としては漠然と心配な気持ちも否めません。
原発での作業に従事する方々のご家族をはじめとして、
そんな人たちも大勢いることでしょう。

今でも毎日のように、放射能に対する恐怖や怒りの声を目にします。
それは仕方のないことですが、じゃあどうすればいいのか。

現地ではこうして一歩一歩進んで行こうという動きがあることを
決して忘れてほしくないなと思います。


福島県浜通りでは今朝も震度4の揺れがありました。
なかなか落ち着きません。
先月帰ったときに、初めて少し写真を撮ってきました。


○まだ再開していない小名浜行き高速バスの停留所付近。

Photo


○実家前の側溝。地盤が傾いてしまったので、鉄棒で支えてます。
 塀にもヒビが入っているのが分かると思います。
 地面も割れ、屋根もブルーシートをかけたままです。
 あちこちでこういった光景が見られます。

Photo_2


道路もまだ凸凹が多く、運転には注意が必要です。
小名浜港付近の信号は10月にやっと復旧しました。

被害状況がもっとひどい所は山ほどあるため、
なかなか手が回らないだろうし、当分このままだろうと思います。


○ウクライナ製ガイガーカウンター。
 父はこれを持って県内のあちこちに出かけています。

Photo_3


帰省するたびに色々なことを感じますが、
前回は再開したアクアマリンふくしまにも行くことができました。
目を覆ってしまう状況だった小名浜港が、
穏やかな光景を見せてくれたのは嬉しかったです。
まだまだ、これからではありますが。

Photo_4


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近況報告&IJET-23プレイベントin 広島

また久々の近況報告になってしまいました。
ゆるゆると。
あまり書かないでいると両親から連絡が…(^^;;

最近は仕事の合間にあちこち顔を出していました。
新しい分野の勉強を始めてみたり、
福島に帰省したり、同業の友人たちと那須旅行に行ったり…
三年前、岡山の仕事でお世話になった方と再会したり
いわき出身の同窓会をやったり。

昨日は翻訳仲間の赤ちゃんに会ってきました♪
抱っこしたまま連れて帰りたいくらい可愛かった~。
出演:私の手。さあ、どちらでしょう(笑)
Hands

大先輩の翻訳者さんのブログです。
素敵な写真をありがとうございます。

記録しておきたいことばかりなのですが、なかなか追いつかず…。
ブログも整理しなければと思ってはいるのですが。
思うだけで、はや数年。


いろいろある中でも特に思い出深いのが広島に行ったことです。
勉強半分、旅半分でしたが、
今まで行った中で一番印象的で美しい町でした。

レポートを書かせていただいたので
興味のある方は覗いてみてください。
前回の大阪に続き、来年開催されるIJET-23のプレイベントです。
http://ijet.jat.org/news/participants_report_kat_translation_seminar_in_hiroshima

書ききれないこともたくさんありましたが、
いろいろな意味で忘れがたい旅となった広島行きでした。

翻訳セミナーの内容に興味がある方は、
運営委員の緒方亮さんが書かれたこちらの詳細なレポートをぜひ。
http://ijet.jat.org/news/report_kat_translation_seminar_in_hiroshima/

今後もまだ関西や四国、九州でも
プレイベントが開催されるようです。
気軽に覗いてみて、雰囲気を知るのも楽しいかと思います。
勉強中の方などもいらしてましたよ。


震災後、ボランティア翻訳に関わったりする中で
仕事に関してもいろいろと考えるところがありました。
様々な出会いのおかげもあると思いますが。
少しずつ行動に移しつつ、成長したいと思う毎日です。

映画などはなかなか観る気分になれなかったのですが
最近、ちょっとずつ復活しています。
「わたしを離さないで」は印象深い作品だったな。

iPhoneより更新してますが、うまくいきますように。

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2011/06/27

【メモ】被災地に向かう方へ

先日、いわき市災害救援ボランティアセンターを通して
作業に参加してきました。
行く前に、私もいろいろと不安がありましたので
どなたかの参考になるかと気づいたことをメモしておきます。
他のセンターでは、色々と違う点もあるかもしれません。

まず、ボランティアセンターが現在も活動しているかどうか
行く直前に確認しておいた方が良いと思います。
休止しているところもありますので。
いわきも、本当は5月で終了の予定だったのですが
まだまだ見通しが立たないとのことで
無期限延期になったと聞きました。

市内のホテルは被災者を受け入れている所もあるため
なかなか取れないようです。
日立や郡山という遠いところから通っている方もいらっしゃいました。

9時から受付が始まり、
初参加の人には10分ほどのオリエンテーションがあります。
ボランティア保険にも無料で加入できます。

作業内容は様々です。
毎日、いろいろな所から
ボランティアの要請がセンターに入ってくるので
場所・作業内容をスタッフの方が読み上げ、
希望者が手を挙げて何人かのグループで現地に向かいます。
「どこどこに行ってください」と指示されることはありません。

覚えている範囲では
久ノ浜地区の瓦礫の撤去作業、
合同慰霊祭を行った学校の後片付け、
これからイベントを行う場所でのテント設営、
個人宅の津波被害の後片付け、
側溝の泥のかき出しなどなど…

私は、津波の被害で取り壊し予定の個人のお宅に伺いました。
取り壊し予定とはいえ家の中をからっぽにしなければならず、
家電や家具を含めた全てのものを
巨大なゴミ袋に分別する必要があります。
さらにスコップで砂を土嚢に詰めていくのですが
これまたかなりハードな作業でした。

炎天下での作業は、帽子が必須です。
私は当日、30度を超える日だったにもかかわらず
行きのバスに帽子を忘れてしまったのでした…(バカ)
日焼けどめをしっかり塗っていたにもかかわらず、
お昼休みに鏡を見たら見事にマスク以外の部分が真っ赤に日焼け。

安全上の理由で長袖・長ズボンということもあり
絶え間なく汗が流れ落ちるので
強力な日焼けどめもあまり役に立ちません。

マスクは、普通のものを持参しましたが
センターで防塵マスクをいただきました。
こちらの方が、呼吸がしやすくて良かったです。
いろんなものが舞い上がるのでマスクは必須です。

そして、軍手。
何かが手に刺さったりすると危ないので
革軍手が良いと知人にアドバイスをいただきました。
軍手の上からかぶせるビニール手袋も貸していただきました。
ヘドロの水の中に手を突っ込むような作業もありましたので
防水性を考えておくと良いと思います。

津波から既に3ヶ月以上が経過し、
その間、この蒸し暑い気候の中で放置されていたものの中には
ひどい状態のものも多数あります。
持ち上げたら蛆虫がビッシリ、などということも。

さらに、私が行った四倉地区は水道が復旧しておらず、
汚れた手を洗う場所がありませんでした。
よって、タオルを持っていても汗を拭くのも困難です。
首や頭にタオルを巻いて、
できるだけ汗が落ちるのを防ぐ工夫をしていました。

ウェットティッシュがあると便利かと思います。
消毒用のアルコールはセンターで用意されていました。

飲み水は一日で2リットルほど必要でした。
(足りなければセンターでももらえます)
こまめに水分補給してこれだけの水を飲んだにもかかわらず、
トイレには全然行きたくなりませんでした。
すべて汗として流れ出ていたのでしょうね…
脱水症状にならないよう、細心の注意が必要だと思います。

そして、疲れには塩分が本当に効きました。
梅干しや塩飴など。

靴は安全靴が最適なのでしょうが、
スニーカーの方も多かったです。
長靴なども貸し出しがありましたが数に限りがあるようです。

私も行く前は、女一人が数日手伝いに行ったところで
助けになるんだろうか、と考えたりしました。
行ってみても、やはり個人の力は微力だと感じました。

でも、みんな同じ思いなのだと
他の参加者の方々とお話していて感じました。
阪神大震災の時とはまた事情が違い、もともと人口も少なめで
都市部から離れているため、気軽に行ける距離でもありません。
日帰りの方も、2〜3日の方も多いです。
そんな人たちが数百人集まることで成り立っている。

一人一人の力は本当に微力かもしれないけれど、
その積み重ねが大きな力になるのだとしみじみ思いました。

海外を含め、遠方からも大勢の方が来てくださっています。
そして高齢の方がとても多く、申し訳ないくらいでした。

私が一緒に組んだグループにも60代、70代の方が…
皆さん、とてもお元気で
力仕事もバリバリこなしてらっしゃいました。
「もう定年迎えたし、時間だけはあるからね。
 若い人たちは仕事もあるし、ままならないでしょう」と。

神戸から長期で滞在してらっしゃる方は
「阪神大震災で、本当にお世話になったからね」
と仰っていました。

私も仕事があるため、長期で参加するのは難しいのですが
また数日でも休みが取れたら参加したいです。

329369877

ボランティアセンターに貼ってある地図。
帰り際に皆、どこから来たかシールを貼って帰ります。
左上には海外からの方々も。

鬱々とした毎日を過ごしがちでしたが、
こんなにもたくさんの人たちが応援してくれているのだと
力が湧いてくるのを感じました。
そして、現地には来られなくとも
応援してくださる方がたくさんいることも実感しています。
日々いただくメッセージが嬉しいです。

ありがとうございます。

福島も、そしてその他の被災地も、
一歩一歩進んでいけますように。

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2011/06/02

いわきへの帰省

先月、福島県いわき市に数日帰ってきました。

変わり果てた小名浜港。
ガラスの破片だらけの港近辺。まだまだ残る瓦礫。
屋根瓦が落ち地面にヒビが入った実家。
傾いたまま人が居住するマンション。崩れたままの塀。
あちこち地面が割れ、隆起や陥没で通行止めのままの道路。
未だ動かない信号。

滞在中にも何度か余震がありましたが
この状況での余震の恐怖は相当なものです。

でも、沿岸を北上してみれば、
さらに言葉を失う状況でした。
「しっかり見ておけ」と父。

千葉県の旭市も津波の被害が酷かったところで
先日通った時に、更地があちこちにできていたのを目にしました。
その時も大自然の脅威を感じたばかりですが。

比べものにならなかった。
何もない。
広範囲で、全てがなぎ倒され、さらわれて
瓦礫の山以外は何一つ残っていない。

ここにどれだけの人たちが住んでいて、
今、その人たちはどんな思いで過ごしているのだろうと
胸が苦しくなりました。

もちろん、うちの知人にもそんな風に家を失った方々がいるわけで。
そんな方たちを思うと、うちは運が良かったとしか言えません。

そして原発から30km圏内にも入るので人けもなく、
すれ違うのは自衛隊の車両ばかり。

こうして家を失った人たち、
そして漁業関係で仕事を失った人たち、
離れている地域ですら苦しい状況にある農業を営む人たち。

これから、どうしていけばいいんだろう。

家族でそんな話をしながら、答えが出るはずもなく。

でも、助かった命に感謝しながら
現実を受け入れて生きていくのが私たちにできること。
現地で感じたのは、今は生きていくだけで精一杯という空気。

いわきで入ったデニーズには
「福島・茨城産の野菜を使用しています」と貼り紙がありました。
「みんなでがんばろう!」と。
お店は賑わっていました。

最近は、政府の発表する数値は信用できないから
やっぱり福島産の野菜は無理、という声を多く聞きます。
個人の選択は自由ですが、顔の見えないネットは恐ろしいもので
「勝手に毒入り食ってろ」なんてわざわざ言ってくる人もいます。

でも、今何も信じなかったら、福島県民はどこへも進めません。
文句だけ言うのは簡単ですけど
他にどんな手段があるのかと問いたい。
農家の方たちがどうなってもいいなんて思えないし
国がきちんと対応してくれればとも思うけれども
そんな議論をしているうちにも今日の、明日の生活があるのです。

出荷規制がかかった時の、キャベツ農家の方の自殺を
私は決して忘れることができません。
できる限り知識を仕入れながら、必要以上に神経質にならず
間接的な支援を続けていきたいと思っています。

産地云々と騒ぐ以前に
いまだ子供たちの給食がこんな現状のところすらあります。

ハンバーガーにゼリー…給食、“復旧”なかば

子供たちが放射線によって受ける影響は、大人よりずっと大きい。
子供に関しては私もいろいろな心配がわき上がります。
だからこそ、大人の暴言を聞くとやり切れなくなります。

最近では「飲んで食べて復興支援!」とも言えない空気。
そして「いつか、きっと復興してほしい」などと書こうものなら
「そんな汚染された土地に、誰が行くもんか」なんて
わざわざメッセージを飛ばしてくる人もいます。

人間不信、被害妄想、自己嫌悪。

そんな日々です。

でも、現地で頑張ってる人たちが大勢いる。
その力強い姿を目の当たりにしてきました。
何と言われても、私は故郷を、東北を応援し続けますし
きっと復興できると信じています。

次第に孤独な戦いになりつつありますが
応援してくれる方々もいることを決して忘れずに。


「アクアマリンふくしま」はまだ、周辺立ち入り禁止でしたが
7月15日再開を目指しているそうです。
先日は、活魚車というものを初めて知りました。

アクアマリンふくしまの復興日記 -活魚車がやってきた-

連日、頑張ってらっしゃるスタッフの方々に頭が下がります。
地元民の心のよりどころとも言えるスポット。
再開が本当に楽しみです。

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2011/05/04

震災からもうすぐ二カ月…

マイナスのエネルギーってすごいな…と、最近しみじみ思います。

震災後の日記は、我ながら動転していて見苦しく
何度も削除しようと思いましたが
自戒も込めて残しておこうかと思います。

家族も見ているブログなので安心させたい一方で
世間に対して危機を訴えたい気持ちもあり
でも明るく復興を目指さなきゃ!なんて思ってみたり
もうメチャクチャでした…

嫌な思いをさせてしまった方がいらしたら、
申し訳ありませんでした。

もちろん、今も本音は変わっていません。
報道が少なくなってきて、
忘れられやしないかと不安はふくらみますし
これ以上原発を増やすのにも反対です。

でも、けんか腰な人々を見ていると
これが果たして明るい未来につながるのか…?と
疑問ばかりが浮かぶ今日この頃です。

反原発派、原発推進派に分かれて
罵詈雑言を浴びせ合う様子を見るにつけ
こんなことが何のプラスになるのだろうと思います。
世間の人々にも「関わりたくない」とそっぽを向かれるばかりです。
私自身、マイナスのエネルギーを浴びすぎて
すっかり疲弊してしまいました。

もっと前向きな話し合いってできないものでしょうか。
相手をやり込めるのが目的になっているような…

全員が完全に安全なところに避難して、
家も仕事も用意されて…なんてことが無理な以上、
現実を受け入れつつより良い道を探っていくしかない。
簡単には解決できない事情が山ほどあります。

風評被害や差別は確かに身近で聞きますが
応援してくれる方々がいるのも事実。
前向きに頑張ろうとしている人が大勢いるのも事実。
今も福島浜通りで私の家族や知人が生活しているのも事実。

ただ泣き叫んだり怒りをぶつけたりしても
何一つ良い方向には向かないことを痛感しました。

今後は、冷静に情報収集をしながら
静かに自分にできることをやっていこうと思います。
たとえほんの小さなことでも。

そして、ひどい状態だった私に声をかけてくれた人、
メッセージをくれた人たちには
お詫びと共に心からの感謝を。

陳腐な言葉ですが、「一人じゃない」と感じられるのは
あの時の私にとって大きな救いでした。
署名の呼びかけにもたくさんの反応をいただいて
本当に嬉しかったです。
ありがとうございました。



マイナスのエネルギーと言えば
ビンラディン殺害のニュースもそうですね…
まさしく負の連鎖。

スピルバーグの映画「ミュンヘン」を思い出しました。
あの作品で、救いようのない負の連鎖の中、
唯一希望の光に見えたのは
太陽の下で遊ぶ子供たちの笑顔でした。

子供たちの未来は何としても守りたい。
そう願ってやみません。

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