それでも人生にイエスと言う
仕上げは明日にしよう、と訳文を寝かせる間に一冊。
V・E・フランクル「それでも人生にイエスと言う」を読みました。
「夜と霧」の著者です。
読書の秋。内省の秋。
著者がナチスの強制収容所から解放された翌年に行った
講演をまとめた本です。
収容所での体験に加え、精神科医としての経験も多く語られ
少々難解ですが説得力がありました。
一度では理解し切れていないと思います。
それでも、心に残る言葉は数多くあり
折にふれて読み返したいと思いました。
生きる意味とは?
誰でも考えたことがあるのではないでしょうか。
印象的な部分を少しメモしておきます。
(原文通りではありません)
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人生に意味を問うてはいけない。
人生とは問われるものであり、
問われたときにどう応答(行動)するかが
その人にとっての生きる意味である。
私たちは、悲観主義にもとづいてしか
行動を起こすことはできない。
楽観主義でなだめすかすよりも、
悲観にもとづいてなお何かしようと手をのばすことに意味がある。
つまり苦悩には意味がある。
しあわせは、目標ではなく結果にすぎない。
死の存在が人生に意味を与えている。
もし人間が永遠の命を持っていたら
何もかもを後回しにしてしまうだろう。
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収容所での体験にもとづく、
「苦悩できないという苦悩は最大の絶望」という一節は
真に迫るものがありました。
カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」で私が感じた
深い哀しみはこれだったような気がします。
登場人物たちはその絶望に気づいていなかった。
そして、「人間の苦悩は比べられない」という一節。
本書を読めば、その壮絶な体験と自分を比べてしまうかもしれない。
でも、比べることには何の意味もないと思います。
苦悩はその人個人のものでしかない。
それは震災の時にも強く感じたことです。
強制収容所での苦悩も、ささいな失恋の苦悩も
学校でのいじめの苦悩も、本人にとってどれだけ大きいかは
本人にしか分からない。
そして、それをどう乗り越えるか、
心の持ち方の自由だけは平等に与えられている。
たとえば、囚人のためにこっそり
自腹で薬を購入していた収容所所長の話。
いっぽう、同じ囚人仲間を虐待していた囚人の話。
問題であり続けたのは、置かれた立場や状況ではなく
裸の人間そのものであると。
高校時代の古典のおじいちゃん先生を思い出しました。
とてもゆっくりした、優しい語り口で授業をするので
私はいつも心地よくうつらうつら…
「こぅら、眠り姫」と何度呼ばれたことか。
脱線しました。
そんなことはどうでもよいのですが、
先生が最初の授業で「人生って何だか知ってるか?」と
黒板に書いた図だけははっきりと覚えています。
「生→死」
矢印は黒板の端まで、長かった。
私たちは、死をめざして生きているんだよと。
衝撃を受けたあの頃は本当に若かったのだなと思います。
今はずっと身近に、静かに死を感じるようになりました。
フランクルが言う「意味のある死」が
少しだけ理解できた気がします。
今まで自分が考える意味のある死とは、
たとえば三浦綾子さんの「塩狩峠」のラストだった。
けれど、そんな分かりやすいものだけではなく
ひとりひとりの内面で為しうることなのだと。
苦悩と死、そして愛が、人生に意味を与えているのだと。
一瞬にして町が破壊されても、大勢の命が失われても
社会は普通にまわっていく。
私が今死んだとしても、本当に困るのはうちにいるウサギくらい。
それでも人生にイエスと言う。
言いたい。
そんなことを思ったほろ酔いの夜長でした。
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コメント
それでも人生にイエスと言うは、私も読みましたが、人生は何か?その哲学の集大成ともいえる内容で、とても参考になりました。素晴らしい本ですよね。
投稿: ベンジャミンフランクリン大好き人間 | 2013/05/08 20:00