会社帰り、いつものようにiPod miniを片手に歩いていました。
今日は久々にショパンのアルバムを通して聞いていて・・・
ふっと、聞き覚えのある曲が。
いや、もちろんどれも有名な曲なんですが、
そうじゃなくて・・・ある映像がふっと浮かんできたのです。
暗闇の中。
帰らぬ恋人を待つ若きメリル・ストリープ。
悲しみに暮れる彼女を抱きしめようとする、ロバート・デ・ニーロ。
そう、映画「ディア・ハンター」の1シーンです。
へぇ〜、あれショパンだったのか・・・と思いつつ、
聴いてるうちに映像がどんどん流れ始める。
脳内上映会でした。
これぞ、映画ですね。
ちなみに、曲名は「夜想曲第6番ト短調Op.15−3」。
楽譜も探して手に入れちゃいました。→こちら
作者の死後50年以上経っているクラシック音楽は、
今は大抵WEB上で手に入ります。
ありがたい・・・。
演奏を公開している方もいらっしゃったので、聴いてみてください。→こちら
映画の中では、もう少し静かでスローな印象の曲です。
映像が浮かんでくれば、かなりの映画通ですね!!
タイトルの「何が映画か」というのは、
黒澤明監督が終生つぶやいていた言葉です。
マンガや小説、TVドラマやゲームなど、娯楽が多様化する中で、
何も考えず同じ作品が使いまわされているような時代。
そんな中で「映画が映画たる所以」というのを考えている製作者が、
いったいどれだけいるのでしょう。
黒澤監督は、あれだけの存在でありながらも、それを一生考え続けた。
答えなんてないことは分かっていても、きっと考えることに意味がある。
そう思えるのは、黒澤監督の映画こそが
「これが映画だ!」と実感させてくれる存在だからなのです。
私にとって、「映画」とは美しい映像と心に染み入る音楽。
これが8割を占めている気がします。
もちろん、それだけではプロモーションビデオと一緒ですが、
音楽と映像のコラボレーションによって、
物語の中核を伝えることができるはずなのです。
音楽と映像それぞれが何かを語り、お互いに不可欠な存在となっている。
映像を見たら音楽を思い出す。
音楽を聴いたら映像が浮かんでくる。
私が初めて「これこそが『映画』ってやつなんだ!」と思わされたのは、
黒澤監督の「八月の狂詩曲(ラプソディー)」。
なんだか教育テレビみたいな説教くさい映画だなーなんて思って観ていたのに、
ラストシーンだけで、頭をガーンと殴られたような衝撃を受けました。
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一面の田んぼ。
激しい風雨の中を、傘をさして走るおばあちゃん。
突然、傘がおちょこになる。
その瞬間に流れる、シューベルトの「野ばら」。
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あの1シーンから、100個の台詞を並べても伝えられないであろう想いが
伝わってきました。
背筋がぞっとして、鳥肌が立ちました。
それまで繰り返し使われていた「野ばら」が、こんな風に活かされるとは。
まさに芸術。
そしてもう一つ、これを映画と言わずしてなんと言う。
黒澤監督「生きる」の有名なブランコシーンです。
癌で余命いくばくもない主人公が、
しんしんと雪が降る中、自分が作った公園のブランコに乗って
「いのち短し 恋せよ乙女・・・」と『ゴンドラの唄』を口ずさむシーン。
ここの1シーンだけで、台詞などなくとも、全ての想いが迫ってきます。
印象的な美しい映像に、
意外な音楽を合わせるのが黒澤監督は本当に上手いし、
また無音状態の使い方が上手いので、余計に音楽が引き立つのです。
(昨今のドラマは音楽を流しすぎで、どれも陳腐に聞こえてしまいます)
思い出すだけで涙が出てきて、
今の気持ちは「ああ、また観たい」。
まさかショパンのアルバムを聞くことで、こんな一夜になるとは。
ストーリーがいくら面白くても、音楽が印象に残らないと、
映画としては印象が薄まってしまいます。
去年のお気に入り「キング・コング」も、その辺が惜しい感じでした。
ジョン・ウィリアムスとかダニー・エルフマンあたりがやったら、
もっとヒットしたかもしれませんね。
もちろん、映像の美しさは大前提。
今やっているTVドラマ、香取慎吾の「西遊記」はニュージーランドロケだそうですが、
同じニュージーランドロケの「ロード・オブ・ザ・リング」を思い出してみましょう。
「ロード・・・」が「西遊記」のような映像だったら!!
きっと、全然違う印象の作品になってるでしょうね(^-^;)
最近観た中では「プライドと偏見」の映像が素晴らしく美しかったなぁ。
あ、これレビュー書いてないですね。
とても良かったですよ。
今度書きます(^-^)/
映画は大衆の娯楽であってほしい。
でも、芸術であることも捨てないでほしいと、切に願います。
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