「ヴェニスの商人」
金貸しシャイロック。
冷酷無比な悪人の代名詞。
そう思っていました。
私が「ヴェニスの商人」を読んだのは、小学生の頃。
もちろん、易しく書き改められたものでした。
シェイクスピアは戯曲ですから、小説とは違って、
大人でも読みにくいと感じる人が少なくありません。
だから、読み返してみることもなかった私でした。
私の記憶では、シャイロック=悪人。
それ以外の何者でもなかった。
おそらくは、その子供向けの本にも
そういう描写しかなかったのだと思います。
有名な「人肉裁判」で、シャイロックはひどい奴だと思い、
アントーニオとバッサーニオの友情に感動し、
ポーシャの痛快な裁きに驚きの声をあげる。
指輪のやりとりにクスッと笑い、大団円。
私の中での「ヴェニスの商人」は、そういう作品だったのです。
完全なるエンターテインメントですね。
今回、映画を観てあまりの解釈の違いにショックを受けて、
自分の記憶が間違っているのかと思いました。
しかし、色々と調べてみると、あながち間違いでもないようです。
ウィキペディアによれば、
「ヴェニスの商人」は当初は「喜劇」だったとまで書かれています。
↓
ウィキペディア「ヴェニスの商人」
キリスト教徒から見ればユダヤ人は絶対の悪であり、
「シャイロックの悲劇」に目を向ける人は、なかなかいなかったのでしょう。
パンフレットによると、
「嘲笑されるべき悪役」として原作に描かれているシャイロックが、
「悲劇的な主人公」として初めて演じられたのは、
19世紀のこと(演者はエドマンド・キーン)だそうです。
シェイクスピアが生きた時代は16~17世紀ですから、
随分と後のことになります。
今回の映画は、おそらくこの流れを汲んでいるのですね。
シェークスピアを演じなれている、
ジェレミー・アイアンズやジョセフ・ファインズに比べ、
演じることに畏れを抱いていたというアル・パチーノ。
彼の演じるシャイロックの叫びは悲痛で、
聞いているだけで胸が苦しくなり、涙を抑えることができません。
しかし、決して目をそむけることができない。
恐るべき力のこもった、演技とは思えない演技でした。
原作では悪役として描かれているシャイロックに、
観客は感情移入せずにいられません。
ラストでは、完全にシャイロックに同情している自分がいました。
信仰まで奪われてしまい、居場所がなくなるシャイロック。
キリスト教徒がユダヤ人を迫害したのが元凶なのに、
あまりにもひどい話です。
それにしても、視点が変わるだけでこうも話が変わるものかと、
ただただ驚きました。
シナリオの勉強をしていると、よく「桃太郎」の話が出てきます。
鬼退治に出かける桃太郎は、一般的にはヒーローですよね。
子供にも、そう話すはずです。
でもよく読むと、鬼たちは何もしていないのです。
「鬼が島には鬼がいるぞ」と言って、勝手に桃太郎が乗り込んでいく。
視点を変えれば、桃太郎こそが略奪者なのだと。
とてもよく似ていますね。
「ユダヤ人」も、「鬼」も、最初に「悪」と定義付けられているから、
そこに何の疑問も抱かれずに物語が成り立ってしまう。
恐ろしい話です。
現実世界にも、このようなことがいくつもあるような気がしてなりません。
自分も無意識のうちに・・・と考えると、
先入観の恐ろしさに身震いしてしまう私なのでした。
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あけみさんのレビューは、
分かりやすく綺麗にまとめてあってオススメです。
↓
「ヴェニスの商人」
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